フジヤマのトビウオ
フジヤマのトビウオ、古橋廣之進氏が亡くなりました。
子供の頃、浜田山にあったトビウオスイミングクラブに少しの間でしたが通ってたりしたので少々感慨深いものがあります。
ホントは違うスイミングクラブに行きたかったんですけどね。
そっちのクラブに通っている同級生たちはとても速かったんです。
でも、ウチの親は『友達がいるところはダメ。遊びになるから』って....。
遊びで良いんです。それがキッカケで良いじゃないですか。子供なんだから。
楽しむことが動機になったって良いんですけどね。
でも、それが許されない。
楽しむことは悪いこと。
ウチだけでなく世間的にもそんな風潮が長くありましたよね。
時代のヒーロー古橋廣之進氏。
手放しでこのヒーローを尊ぶことには少しばかり躊躇があります。
『楽しみたい』と言った千葉すず選手をシドニーに選ばなかったあの一件です。
水泳連盟会長だった古橋廣之進氏は日本選手権でA標準を超えて優勝した千葉選手を選びませんでした。
直近の古橋廣之進氏の発言の『ヘンなヤツ』が千葉選手をさしていたのは明白。
『楽しみたい』と言った千葉選手を認めませんでした。
もちろんトップアスリートは大変な努力をしています。
苦しい練習を続けるには『楽しむ』という動機があったって良いじゃないですか。
戦後の抑制された時代のヒーローは、自身の活躍した時代の価値観の象徴のように写ります。
余程の人物でない限りあの時代の男性のほとんどが女性に対して持っていた蔑むような感覚もあったのでしょう。
ワタシたちの社会を映す鏡のような人物だと思います。
『すごく楽しい42kmでした』
そんな風潮からワタシたちの社会が解放されるのは高橋尚子選手のゴール直後のインタビューだったかもしれません。
スタート前に音楽を聞きながら踊っていたり、全身で楽しさを表現していた高橋選手。
その金メダルの2000年9月24日。
楽しむことを動機付けにしても許される時代はこの日から始まったような気がします。
『楽しみたい』と語ってシドニーに行けなかった千葉選手。
『楽しかった』とシドニーで語った高橋選手。
その時、古橋廣之進氏はどう思ったのでしょう。
いつか、ワタシにも天に昇る順番が来たら古橋氏に会って聞いてみたい気がします。
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